尾崎世代じゃなくてもー「卒業」と「15の夜」ー
若くして亡くなったせいか、尾崎豊は世代性を強調される事が多いアーティストだと思う。 私は1988年生まれなので、(1992年に亡くなった)彼の活躍時代は記憶に無い。それでも好きな曲は多い。有名な「卒業」「15の夜」はもちろん、「Forget Me Not」や「Oh my little girl」等のラブソングもどれも詩的で美しい。 【Forget Me Not】 どんな人だったというのは、せいぜいNHKの特集番組から断片的に想像するのみ。(もっとも余り彼の私生活には興味がない。) それでも首を傾げるのは、彼は「反社会」のシンボル的アーティストだったという見方だ。これは他でもない、 私の父 が尾崎豊の名前を聞くなり口にした言葉だ。「アウトローの典型じゃん。」と。 これがドラッグスキャンダルの事だけなら納得なのだが、そうではなくて 「盗んだバイクで走り出す」 (「15の夜」より)とか「夜の校舎 窓ガラス壊して回った」 (「卒業」より)というあまりにも有名なフレーズを指しての言葉だった。 バイクを盗むのもガラスを壊すのも間違いなく犯罪行為だ。友達がやる、と言ったら、私は止める。が、これらの歌をよく聞けば、別に彼は 「みんなでガラスを壊そうぜ」とか「バイク盗むのって最高だぜ」と歌ってるわけじゃない 。 【15の夜】 【卒業】 「そういう事をせずに居られなくなる程の怒り、哀しさ」という内面世界を掘り下げるように歌われている。バイクとかガラス窓はメタファーだ。 そして 「自由になれた気がした 15の夜」 と在る様に、バイクで逃亡したとしてもそれは「本当の自由なんかじゃない」と言う事も示唆されている。 では本当の自由とは何なのか? という答えのでない問いかけが「卒業」の究極のテーマであると思う。 しかし、そもそも 「彼が何にそこまで憤っていたのか?哀しかったのか。」 多少でも聞き手が自分の経験に照らし合わせて考え、共鳴しないことには、これらの曲は暑苦しいだけなのだろう。 ** 私は大学生になってからふとした拍子で彼の歌を聞き、 「あ、これは私の気持ちだ。」 と思った。勿論、そう思う人が沢山居るから売れるのだ。沢山在る例の中の一つとして記す。 つ