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Showing posts from October, 2014

尾崎世代じゃなくてもー「卒業」と「15の夜」ー

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若くして亡くなったせいか、尾崎豊は世代性を強調される事が多いアーティストだと思う。 私は1988年生まれなので、(1992年に亡くなった)彼の活躍時代は記憶に無い。それでも好きな曲は多い。有名な「卒業」「15の夜」はもちろん、「Forget Me Not」や「Oh my little girl」等のラブソングもどれも詩的で美しい。 【Forget Me Not】 どんな人だったというのは、せいぜいNHKの特集番組から断片的に想像するのみ。(もっとも余り彼の私生活には興味がない。) それでも首を傾げるのは、彼は「反社会」のシンボル的アーティストだったという見方だ。これは他でもない、 私の父 が尾崎豊の名前を聞くなり口にした言葉だ。「アウトローの典型じゃん。」と。 これがドラッグスキャンダルの事だけなら納得なのだが、そうではなくて 「盗んだバイクで走り出す」 (「15の夜」より)とか「夜の校舎  窓ガラス壊して回った」 (「卒業」より)というあまりにも有名なフレーズを指しての言葉だった。 バイクを盗むのもガラスを壊すのも間違いなく犯罪行為だ。友達がやる、と言ったら、私は止める。が、これらの歌をよく聞けば、別に彼は 「みんなでガラスを壊そうぜ」とか「バイク盗むのって最高だぜ」と歌ってるわけじゃない 。 【15の夜】 【卒業】 「そういう事をせずに居られなくなる程の怒り、哀しさ」という内面世界を掘り下げるように歌われている。バイクとかガラス窓はメタファーだ。 そして 「自由になれた気がした 15の夜」 と在る様に、バイクで逃亡したとしてもそれは「本当の自由なんかじゃない」と言う事も示唆されている。 では本当の自由とは何なのか? という答えのでない問いかけが「卒業」の究極のテーマであると思う。 しかし、そもそも 「彼が何にそこまで憤っていたのか?哀しかったのか。」 多少でも聞き手が自分の経験に照らし合わせて考え、共鳴しないことには、これらの曲は暑苦しいだけなのだろう。 ** 私は大学生になってからふとした拍子で彼の歌を聞き、 「あ、これは私の気持ちだ。」 と思った。勿論、そう思う人が沢山居るから売れるのだ。沢山在る例の中の一つとして記す。 つ

ヒューマン・ライツナウ事務局主催「アジアのガールズ事情」〜はじめよう!わたしたちのエンパワーメント〜に行って来ました

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こちらイベントのページ http://hrn.or.jp/activity/event/post-293/ 10月11日って、国連が定めた「 国際ガールズ・デー 」だったんですね、知らなかった。 たまたま前日、夜パソコンを閉じようとした瞬間にFBのニュースフィードに流れてきたイベントの告知。パネリストのお一人、 仁藤夢乃さん は、家庭や学校に居場所がない 女 子高校生の保護、支援 のためNPO法人COLABOの主催をされています。(仁藤さんのブログ。 http://profile.ameba.jp/colabo-yumeno/ ) NHKのTV番組にも出演されたので、ご覧に成った方もいらっしゃるかと。(私はTVを持っていないので 母に録画して貰って、まだ見れずにいます。) 彼女の著書「難民高校生」と「女 子高生の裏社会」を少し前に読んで、衝撃を受けると共に、素晴らしい活動されている彼女への敬意を感じていました。(特に同年代で親近感のような物も勝手にあり。)早速10月9日のイベントに行ってみることに。 実際に間近でお話を聞くと、ショックは深くなりました。 特にパキスタンやインドの女性の売春強制の被害についての映像を見た後で、仁藤 さんがはっきりと口にされた 「日本で起きてる事と同じだと思いました。」 という言葉。 私は微力ながら発展途上国の子供の売買春廃止に取り組む団体のサポート会員でもあるのですが、やはりどこかで「途上国の問題」「日本とは違う」と思っていました。 しかし仁藤さんの語られる日本の現実(裏の顔)の数々..。 例えば 親に暴力を振るわれるので自宅に帰れず、渋谷の街をさまよう女の子。 母子家庭で困窮しきって、弟や妹を養う為に働かなければ成らない女の子。 言葉に少し障害があって、昼間の仕事を見つけるのが難しい女の子。 こうした10代の女の子たちに対して業者たちが甘い言葉をかけ、性,産業に引き入れる。そしてそこで働かざるを得ない状況を継続させ搾取するという仕組み。 恐ろしいのは、実際は性.的サービスを売らざるを得なかったり、暴行される危険があるような店でも、法の目を抜けるため「J Kお散歩」「マッサージ」「メイ ドカフェ」「占い」「観光案内」「カウンセリング(!)」などの名目を使い、 明るく可愛らしい見た目 にして

ベリーダンスって凄くセクシーな踊りだよね?

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こんにちは、ベリーダンサーNisreenです! ベリーダンスって凄くセクシーな踊りだよね? こう訊かれると、私は大抵「そうですね!」と答えます。 でも、こう付け加えたい気持ちもあります。 「ダンスと名のつく物の多くがそれぞれにセクシーだと思います。ベリーダンスもその一つですね。」 と。 以下はあくまでも個人の感想ですが、 バレエ は、極限まで絞り上げた肉体と精神を曝け出す姿がセクシーだと思います。 フラメンコ は、抑える箇所と、一気に爆発させる所とのコントラストがセクシーです。 フラ は、自然との一体感による表情の一つ一つがみずみずしくセクシーです。 日本舞踊 は、繊細な手つきや抑制した動きがセクシーです。 サンバ は、身体がバネの様に弾む独特のリズムが、爽やかでセクシーです。 サバールダンス は、力強くエネルギーをぶつける所がセクシーです。 ジャズダンス は、切れよく、しなやかな身のこなしが躍動的でセクシーです。 タップダンス は、タップで音楽を紡ぎ、盛り上げて行く即興性や遊び心がセクシーです。 そして ベリーダンス については、音楽と共鳴しながら動きの一つ一つを楽しみ、スムーズに繋げていく様子が、特にセクシーだと思います。 ..今ので10年分「セクシー」と書きました。 ----------------------------- 沢山のダンスの中からすぐに思いついた物だけ挙げましたが、 どれも音楽を身体で表現する中に官能性があります。 ダンスは音楽から引き起こされる感情、感覚を表現する物 だからでしょう。 更にその背景には、その発祥の土地の文化があります。 ベリーダンス(オリエンタルダンス)は今ではステージ上で披露する踊りの形態として知られていますが、 もともとエジプト等の中東や北アフリカ諸地域、またトルコなどの国々では、女性だけでなくて子供や男性も、結婚式などのお祝いの場で、見よう見まねで踊り楽しむ 「ソーシャルダンス」 としての一面もあります。(もちろん踊らない人もいるでしょう。 【エジプトの踊る子供達】 一方で、近年、プロのベリーダンスの業界では、女性のエンターテイナーが主流であり、男性の観客を主な対象としてきたという点も事実です。 またプロのダンサーは、一部の大スターをのぞいて、中東の多く

【レッスン】ヒラソル銀座ダンススクールにて、11月よりベリーダンスレッスン開始!

●2014年11月〜 (日)16:10~17:10 ベリーダンス・ベーシック入門 スタジオB http://girasolginza.jp/ 銀座駅から徒歩5分、東銀座からは徒歩3分の便利な立地です。 歩いているだけで優雅な気分のお洒落なエリアです♪ ●クラス内容(スクールのHPより) 楽しく汗を流しながら、異国気分を体感してみませんか? ベリーダンスの音楽は時に明るく、時に切なく、時にロマンティック。 まるで万華鏡を覗き込んだように、多彩な世界が広がっています。 じっくり丁寧に身体造りをしながら、 音楽・リズムに心から親しんで頂けるように クラスを進めてまいります。 どうぞお気軽にいらして下さい。^^ ダンスが初めての方はもちろん、 基礎を確認されたい経験者の方も大歓迎のクラスです。 ●必要な物、服装 伸縮性があり、身体の線が出る物なら何でも大丈夫です(例:キャミソールや短めのTシャツ、ヨガパンツ、レギンスなど) できれば腰に巻くスカーフ 水、タオル ** お待ちしてますね♪

ベリーダンスの衣装って、着てて恥ずかしくないですか?

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...と澄んだ目でお訊きになられた方が、今までに何名かいらっしゃいました。 一応ご説明すると、ベリーダンスの衣装も様々で、もっと身体が隠れるタイプの物もあります。ですがこのご質問は、大抵この写真のような、キラキラしたベドラー(ブラとベルト)に対して向けられています。 私個人として、それに対する答えは「YESであり、NO」です。 YES。昼間の商店街でお買い物するなら。蛍光灯の下で事務室で着るなら。素顔で着るなら。そしてダンスを踊らないなら。 NO。スポットライトを浴びて舞台に立つなら。薄暗いレストランの中で踊るなら。キラキラを顔にまぶしている時なら。ダンスを踊るなら。 これも(細かい所は違えど)ラテンダンサーやサンバダンサー、モダンバレエダンサーもそう言う方が多いのでは?と想像します。 そしてこの方も。 永遠のスーパースター、マイケル。(それにしても何故金のハイレグ?) ステージを降りたら、この格好は恥ずかしかったんじゃないかしら..。 話が逸れました。 オリエンタルダンスの衣装は概してきらびやかです。そして「ダンサーとしての肉体」を際立たせるデザインになっています。 だから「そういう衣装を着るのは恥ずかしい」という抵抗感を最初に持つ事も、或る意味自然かもしれないと思うのです。 というのも私自身が、このような型の衣装を初めて身につけられるまでには、ダンスとの出会いから4年くらい時間がかかりました。(因にその辺は人それぞれですから、早いのが良いとか悪いといったことではありません。) それまでドレス型や半袖の衣装で、スパンコールもあまり付いてない物を着ていました。音楽もそういった衣装に似合うものでした。何と言うか気持ちが衣装に追いつくまでに時間がかかったのだと思います。 初めてベドラーを身につけた時、そのときを待っててよかった!という歓びがあったのを覚えてます。 また、私が師事した先生方は皆さん、パフォーマンスの前の待ち時間や踊りの後は衣装だけの姿でウロウロしないように、必ず上にガウン(アラビア語でガラベーヤと呼んだりします)を羽織るようにと指導されていました。 ダンスはプレゼントだから大切に秘めておいて、ステージの上でだけ明らかにするのだ、と。 なんだかロマンティックですよ