細々と英語を勉強しながら、ふと思うこと。
ダンスと語学って、ほんとに、似ている。
言葉も、ダンスも、目的は、「だれかに伝えること、分かち合う事」。
例えるなら
文法=基本姿勢
例文、構文=振り付け
語彙=テクニック
そして、じっさいに話す事=踊る事
のような。
painted by Nisrren
文法を理解していないと、言葉として意味を成さない。
例文のストックがないと、言葉は出てこない。
それを「伝えたい」と思った私の気持ちは、私だけのもので、誰とも違う筈なのだが、形にするにはまずは模倣するしかない。
語彙がないと、何かを言葉にできない。少ないと、同じ言葉を何度も使うしかない。
スピーチの時はそこに相手の反応が加わる。
特に小さな場なら、相手の反応を見て間合いや声音を変えたりもするかもしれない。
暗記したまま喋るだけだと、ロボットみたいになってしまう。
語学教材は
「●●さえしてればいいんだ」という強いキャッチコピーを付けたものもおおい。
例えば「聞き流すだけでいい」「語彙集を暗記するだけでいい」
「だったらいいなあ」と思うけど、残念ながら、これだけ複合的な要素を持つ「言語」を学ぶプロセスは、やっぱり複合的だし、時間がかかる。
言葉が変わると、思考のプロセスも、自らの感情の捉え方も変化する。
言葉のバックグラウンドとなる、文化、宗教、風土など、様々な要素が、この変化のヒントになる。
ダンスは身体で話す言葉のように感じる。
ただ、口からごまかしを言うよりも、ダンスで嘘をつく方が、ばれやすいような気がするのですが、どうでしょう..?
2015年6月21日