☆☆宝塚歌劇、観劇初体験☆☆(男性性と女性性、オリエンタリズムについて)2016年1月月組公演「舞音-MANON-」/GOLDEN JAZZ(東京劇場)
今日は、ニスリーンです!
様々なご縁が重なり、
先日、以前から念願だった宝塚歌劇、観劇初体験してまいりました。
月組公演「舞音-MANON-」
ストーリー 以下、公式サイトからの引用です。
-フランス恋愛文学の最高峰の一つであり、バレエやオペラ作品としても人気の高い、アベ・プレヴォ作「マノン・レスコー」。将来を嘱望されるエリート青年が、自由奔放に生きる美少女マノンに魅せられ、その愛に翻弄されるドラマティックなラブストーリーを、20世紀初頭のフランス領インドシナに舞台を置き換え、アジアンテイストを散りばめた新鮮な世界観で描き出します。
1929年夏、フランス貴族の血を引く海軍将校シャルルは、駐屯先であるコーチシナ(現ベトナム南部)・サイゴンの港に到着する。熱帯地方独特の、湿ったけだるい空気に包まれたシャルルは、今までに感じたことのない強い運命の力が、自分を未知の世界に導いていくかのような不思議な予感にとらわれる。そんな彼の前に、黒髪の美少女が現れる。彼女は、社交界では有名な踊り子で、金持ちの男達の心を次々に捕えては、自由気儘に豪奢な暮らしをしていることから、“舞音(マノン)”と呼ばれていた。
一目で彼女に恋してしまったシャルルは、その想いを止めることが出来ず、マノンと共に避暑地のヴィラへと向かい、二人は至福の時を過ごす。しかし、マノンの兄、クオンが彼女を連れ戻しにやって来る。華僑のパトロンの元へと去ってしまったマノンを許すことが出来ないシャルルは、彼女を忘れようと苦悶するが、そんな彼を、旧友のクリストフが親身になって心配する。そして、シャルルがインドシナ総督の一人娘カロリーヌとの婚約の決心を固めようとした時、再び、彼の前にマノンが現れ・・・・。-以上引用。
http://kageki.hankyu.co.jp/revue/2015/manon/
というもの。感想を一言で言うなら「一日中でも眺めていたい」です。
歌やダンスの素晴らしさは言うに及ばずですが、更に衣装、そして舞台装飾の美しさ!
舞台は20世紀初頭。東洋に創られた西洋人好みの高級クラブ。そこで舞うオリエンタリズムの象徴的な踊り子
と来たら、ベリーダンサーとしては身を乗り出さずには居られない設定でしょう。
**
舞音役の愛希れいかさんの、鍛え上げられた故の優雅な身のこなしや衣装の華やかさ、
またバックアップダンサーの皆様のひらひらと裾の広がる衣装には目が♥になりっぱなしでした。
また、オリエンタリズム的美を絢爛豪華に演出しながらも、
「オリエンタリズムの背景にある植民地主義」をきちんと批判しているストーリーにも大変感動しました。
正直、フランスのエリート青年が自由奔放な東洋人との混血の美女に惹かれる、というあらすじを聞いた時は
また「西洋人の男=理性や文明の象徴」が「東洋の女=愛欲や自然の象徴」に惑わされるという使い古された展開か・・とちょっと思ったのです。(ゴーギャン症候群とも言う)
でも、そのフォーマットを最後に壊して、
「人間としてどう生きるべきか」
という普遍的なテーマに持って行っていましたし、
舞音のことも単なる「男を惑わす美女」ではなく「植民地主義の被害者の一人」の人間として真摯に描いている、と感じました。
**
同日公演のレヴュー「GOLDEN JAZZ」はあまりに盛りだくさんな内容なので、「こんなに見せて頂いてよいのでしょうか」と何だか心配になるくらいでした!
舞台の端から端まで見ていて楽しかったです。出来る事なら、名前が載っていないダンサーの方々にも一人一人手を取って「素敵でした」と言いたいくらいでした。
**
更に宝塚歌劇全般の特色といえば「劇団員全員が女性」という点です。
私はこちらの記事に以前
女性「らしさ」は時代などに左右されること、
女性であっても、男性であっても、「女性性」を楽しむことはできることを書きました。
今回生の舞台で、男役の方々が「理想の男性」娘役の方々が「理想の女性」を内から引き出して形になさっているのを見て、やはり女性性、男性性はどちらかの性(医師の認定)に帰属するものというより、人間が持ち得る「性質」なのではないだろうか。とあらためて考えました。
表現方法は違いますが,私も、女性でありながら、ダンスを踊る時は自分の「理想の女性」を身体から引き出している感覚があります。
私の身体がその理想像を映す鏡なら、曇りない鏡でありたいものだなあと。
あまりに美しく、あまりに華やかな、フェアリーの皆様の残像と共に物思いにふけった半日でした。
**
様々なご縁が重なり、
先日、以前から念願だった宝塚歌劇、観劇初体験してまいりました。
月組公演「舞音-MANON-」
ストーリー 以下、公式サイトからの引用です。
-フランス恋愛文学の最高峰の一つであり、バレエやオペラ作品としても人気の高い、アベ・プレヴォ作「マノン・レスコー」。将来を嘱望されるエリート青年が、自由奔放に生きる美少女マノンに魅せられ、その愛に翻弄されるドラマティックなラブストーリーを、20世紀初頭のフランス領インドシナに舞台を置き換え、アジアンテイストを散りばめた新鮮な世界観で描き出します。
1929年夏、フランス貴族の血を引く海軍将校シャルルは、駐屯先であるコーチシナ(現ベトナム南部)・サイゴンの港に到着する。熱帯地方独特の、湿ったけだるい空気に包まれたシャルルは、今までに感じたことのない強い運命の力が、自分を未知の世界に導いていくかのような不思議な予感にとらわれる。そんな彼の前に、黒髪の美少女が現れる。彼女は、社交界では有名な踊り子で、金持ちの男達の心を次々に捕えては、自由気儘に豪奢な暮らしをしていることから、“舞音(マノン)”と呼ばれていた。
一目で彼女に恋してしまったシャルルは、その想いを止めることが出来ず、マノンと共に避暑地のヴィラへと向かい、二人は至福の時を過ごす。しかし、マノンの兄、クオンが彼女を連れ戻しにやって来る。華僑のパトロンの元へと去ってしまったマノンを許すことが出来ないシャルルは、彼女を忘れようと苦悶するが、そんな彼を、旧友のクリストフが親身になって心配する。そして、シャルルがインドシナ総督の一人娘カロリーヌとの婚約の決心を固めようとした時、再び、彼の前にマノンが現れ・・・・。-以上引用。
http://kageki.hankyu.co.jp/revue/2015/manon/
というもの。感想を一言で言うなら「一日中でも眺めていたい」です。
歌やダンスの素晴らしさは言うに及ばずですが、更に衣装、そして舞台装飾の美しさ!
舞台は20世紀初頭。東洋に創られた西洋人好みの高級クラブ。そこで舞うオリエンタリズムの象徴的な踊り子
と来たら、ベリーダンサーとしては身を乗り出さずには居られない設定でしょう。
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舞音役の愛希れいかさんの、鍛え上げられた故の優雅な身のこなしや衣装の華やかさ、
またバックアップダンサーの皆様のひらひらと裾の広がる衣装には目が♥になりっぱなしでした。
また、オリエンタリズム的美を絢爛豪華に演出しながらも、
「オリエンタリズムの背景にある植民地主義」をきちんと批判しているストーリーにも大変感動しました。
正直、フランスのエリート青年が自由奔放な東洋人との混血の美女に惹かれる、というあらすじを聞いた時は
また「西洋人の男=理性や文明の象徴」が「東洋の女=愛欲や自然の象徴」に惑わされるという使い古された展開か・・とちょっと思ったのです。(ゴーギャン症候群とも言う)
でも、そのフォーマットを最後に壊して、
「人間としてどう生きるべきか」
という普遍的なテーマに持って行っていましたし、
舞音のことも単なる「男を惑わす美女」ではなく「植民地主義の被害者の一人」の人間として真摯に描いている、と感じました。
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同日公演のレヴュー「GOLDEN JAZZ」はあまりに盛りだくさんな内容なので、「こんなに見せて頂いてよいのでしょうか」と何だか心配になるくらいでした!
舞台の端から端まで見ていて楽しかったです。出来る事なら、名前が載っていないダンサーの方々にも一人一人手を取って「素敵でした」と言いたいくらいでした。
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更に宝塚歌劇全般の特色といえば「劇団員全員が女性」という点です。
私はこちらの記事に以前
女性「らしさ」は時代などに左右されること、
女性であっても、男性であっても、「女性性」を楽しむことはできることを書きました。
今回生の舞台で、男役の方々が「理想の男性」娘役の方々が「理想の女性」を内から引き出して形になさっているのを見て、やはり女性性、男性性はどちらかの性(医師の認定)に帰属するものというより、人間が持ち得る「性質」なのではないだろうか。とあらためて考えました。
表現方法は違いますが,私も、女性でありながら、ダンスを踊る時は自分の「理想の女性」を身体から引き出している感覚があります。
私の身体がその理想像を映す鏡なら、曇りない鏡でありたいものだなあと。
あまりに美しく、あまりに華やかな、フェアリーの皆様の残像と共に物思いにふけった半日でした。
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